【新人】ドート「ウェストブルックといつかマッチアップしたい」

サンダーのルーキー、ルーゲンツ・ドート(以下ルー・ドート)について。

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憧れの選手はラス

正直に言うと彼がサンダーを去ると知って本当に悲しかった、毎日のように彼と一緒にいたらたくさんのことを学べたと知っているから。

 ルー・ドート

ドートは子どもの頃からラッセル・ウェストブルックが好きでサンダーをずっと応援していたそう。ドートはラスの移籍で涙を流したサンダーファンの一人だったということ。(ドートが泣いたかどうかは分からないけど)

大学時代ナンバーが“0”なのもラスの影響?

これからも彼のことは見続けるよ、いつか彼とマッチアップできたらいいな。

 ルー・ドート

ドラフトワークアウト時のインタビューではドノヴァン・ミッチェルやラッセル・ウェストブルックのようになりたいと語るドート。

ラスがチームを離れた年に、ラスに憧れたドートがサンダーにやってきたのは運命かもしれない。

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サッカー少年

4歳からサッカーを始めたルー・ドート。背が高かったのでポジションはゴールキーパー、キーパーでも持ち前の反射神経を活かしていたとのこと。スーパーセーブを連発してそう。

転機は11歳のころ

サッカーも良かったけど、友だちがみんなバスケットボールをやり始めたんだ。サッカーをしてるのは自分だけだった。だからバスケを始めたんだ。やり始めたらサッカーよりもめちゃくちゃ楽しかった。ただただゴールキーパーをしているよりもずっと楽しかったよ。

 ルー・ドート

そして、12歳で母親からサッカーかバスケどちらかに集中するように言われ、ドートはバスケを選択した。

11歳でバスケを始めて14歳で初ダンク

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ドートメンタリティー

ドートは大の負けず嫌い。

例えば、試合でハンドリングミスをしたら何時間もハンドリング練習をするし、シュートをミスしたら何時間もシュート練習をする。

練習試合でルーが絶不調だったことがあった。すると彼は試合が終わるとすぐに体育館に行って500本も600本もシュートを打っていたんだ。

 ネルソン・オッセ(高校に入るまでのドートのコーチ)

ドラフト外からプレーオフチームのスタートまで這い上がったのはドートの闘争心が現れている最高のエピソード。

そんなドートの負けず嫌いはコート上だけにとどまらない。

FIFA(サッカーのTVゲーム)でヴォルテネン(大学時代のチームメイト)に10回以上連続で負けたんだ。何回も何回もやっていた、俺が勝ちたかったから。そしたら一回だけ勝てたんだ、そこでゲームをやめた。

 ルー・ドート

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英語のお勉強

バスケットボールを始めるとめきめきと頭角を現していったドートにアメリカの高校からオファーが来ていた。

しかし、問題があった。ハイチ人の両親を持ちカナダのモントリオール(フランス語が公用語)で育ったドートは英語が話せなかったのだ。

そんなドートが英語の教材に選んだのはコメディドラマ、“The Fresh Prince of Bel-Air”。アメリカに行く前に2周したそう。

おもしろかったよ、おもしろい英語のスラングを勉強することもできた。“The Fresh Prince of Bel-Air”のおかげで英語が上手くなった。

 ルー・ドート

とはいえ付け焼き刃の英語ではコート上でのコミュニケーションが限界で、日常生活ではかなり苦労したとのこと。

周囲の助けもあり英語を習得した今ルー・ドートはフランス語、クレオール語、英語を話すトリリンガル。

バブルでジャージメッセージに選んだのは“RESPEKTE NOU”これはクレオール語で“respect us”の意味。

ちなみにエネス・カンターはスポンジボブで英語を勉強した。

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