アブドゥル・ネイダーの親友とディオンテ・バートンの母親について。
.
.
スポンサーリンク
ネイダー「彼らのためにプレーする」
ブライス・デジュアン・ジョーンズ
あいつらはめちゃくちゃ仲が良かった。ブライスが見当たらなかったらアブドゥルも見当たらないし、アブドゥルが見当たらなかったらブライスも見当たらなかった。二人は似たもの同士でどんなときも一緒にいたよ。
モンテ・モリス(大学時代のチームメイト)
ネイダーがアイオワステイト大学に転校した一年後、ブライス・デジュアン・ジョーンズが転校してきた。二人はルームメイトとなり、すぐに打ち解けたそう。
気が合ったんだ、すぐに俺たちはブラザーになった。
アブドゥル・ネイダー
2014-15アイオワステイトは二人に加えてジョージ・二ヤング、モンテ・モリス、ナズ・ロングと後のNBAプレイヤーが揃っておりシーズンを25勝9敗、BIG12トーナメントで優勝と好成績を残した。
(トーナメントを振り返って)ブライス・ジョーンズが我々の起爆剤になってくれた。オフェンスに限らず、あのトーナメントではチームのために本当に多くの役割をこなしてくれた。調子の良し悪しはあったが、求められたときは大切な裏方にまわってチームのために必死になってくれた。素晴らしかったね。
フレッド・ホイバーグ(当時アイオワステイト大学HC)
その年、ドラフトにエントリーしたデジュアン・ジョーンズは指名はされなかったがペリカンズで10日間契約のチャンスを得ると、そのチャンスを掴み複数年契約を勝ち取った。11試合に先発出場し翌年以降に期待がかかるところで事件は起きてしまう。
深夜にアパートを間違えて入ったデジュアン・ジョーンズは住人に射殺されてしまったのだ。Twitter を見ていたネイダーはジョークだと思い、彼の兄に電話をしたら彼が泣きながら電話を取り、真実だと悟ったとのこと。
大好きだよブライス、血縁関係なんかじゃ俺たちを語れない。俺はお前から多くのことを学んだ、お前に対する気持ちをこれからも絶対に忘れないし、なくさない。
アブドゥル・ネイダー
.
ジョン・キング
環境の変化に慣れるように助けてくれたんだ、彼が高校でできた最初の友達だった。
アブドゥル・ネイダー
転勤族だった高校時代のネイダーがナイルズノース高校に引っ越すと、学校でカリスマ的存在だったジョン・キングがネイダーに学校や生徒を紹介して回った。二人は同じ州内でバスケットボールをしていたこともあり元々お互いに認知はしていた。
(キングについて)彼がくると教室が明るくなる、そんな生徒だった。いい笑顔をしていたよ。
グレン・オーソン(高校HC)
ネイダーがアイオワステイト大学に進んだ後もキングはずっとサポートしてくれていた。アイオワステイト大学の試合がESPNで放送されたときにはネイダーに
“Yeah, bro, we’re on the way!”「やったな兄弟、俺たちあともう少しだな!」
とメッセージを送っていた、二人の次のステージはNBAだ。
その試合の夜遅く目を覚ましたネイダーは携帯にたくさんの通知が入っていたのに気が付いた。キングが心臓の異常で息を引き取った、という内容だ。デジュアン・ジョーンズが亡くなる1年半前のことだった。
彼に敬意を示したかったネイダーはNBA選手になることを固く決意する。そして、何度も何度もキングからの最後のメッセージを読み返した。
今シーズン、キングとの約束は果たせたのでは?と聞かれたネイダーは「大部分はね」と答えた。
自分自身だけではなく、彼らのためにプレーしている。そんな気分だ。
アブドゥル・ネイダー
ネイダーの挑戦はまだ終わらない。
.
.
スポンサーリンク
ピンクシューズを履く理由
6人兄弟の末っ子として生まれたバートンは母バーバラのことが大好きな甘えん坊。いつも母の買い物に手を繋いでついていき、毎日のように母とレスリングごっこをして遊んでいた。
二人は大きな子どもみたいで、そんな二人を見るのがとても楽しかったの。
ニコル(バートンの姉)
バートンが高校で目立つ活躍をするようになるとバーバラは彼に関する全ての記事を切り抜きラミネートしてリビングに飾った、そして試合会場に来ると誰よりも大きな声援を送っていた。
母がディオンテの一番のファンだったわ。
ニコル
しかし、そうした深い絆がバートンをより苦しめることになる。2012年にバーバラが乳がんを発症していることを家族に報告。バートンは少しでも母親と一緒にいられるように地元のマーケット大に進学する。
そして2014年のある日、ニコルからの電話でバートンはバーバラの死を知る。
非現実すぎて、ただ信じられなかった。あの日からバスケットボールが以前までのバスケットボールじゃなくなった。
ディオンテ・バートン
地元での試合や、地元の街並みがバートンにバーバラと過ごした時間を思い出させバートンを苦しめる。そして、バートンはバスケットボールへの情熱を失う。

しかし、家族はバートンにバスケットボールを続けるように促す、それがバーバラが望んでいたことだったから。家族の後押しもありバートンはアイオアステイト大に転校しプレーを続けることに。
母がいつも”一度始めたことは最後までやり続けなさい”と言っていたことを伝えたのよ。
ニコル
転校後、バートンはピンクシューズでプレー。これはピンクリボン運動という乳がん啓発運動の一環で、シューズにバーバラの名前と”Love you”、”Miss you”の文字を書いて試合に臨んでいた。

(ピンクシューズを履くと)ママと一緒に戦っているように感じるんだ。
ディオンテ・バートン
.
.
スポンサーリンク
参考サイト
!https://www.si.com/nba/2017/06/17/nba-draft-prospect-deonte-burton-journey