【記事訳】『NBAの未来を変えたトレードの過去』

NBAの歴史を変えた昔のトレードを何十年も後に思い出すことなんてほとんどない。

1997年ドラフトの1巡目指名、シアトル・スーパーソニックスの順番が迫っていた。9位下の指名権にトレードダウンし1998年デンバー・ナゲッツの2巡目指名権を手にする取引に合意するには残りわずかしか時間がなかった。

「トレードは残り5〜10秒くらいしかないところで成立したんだ。今までの人生で一番のチキンレースだったよ」当時ソニックスGMのウォーリー・ウォーカーはそう言った。

ウォーカーの決断は吉と出た、その5秒はリーグの歴史を変えるかもしれない。

The Trade That Changed the NBA’s Future Has a Secret Past
The Thunder dealing Paul George to the Clippers was decades in the making. Here’s the forgotten history of a blockbuster move older than some of the players inv...

※2019年11月の記事

このトレードは昨夏ロサンゼルス・クリッパーズがポール・ジョージをオクラホマシティ・サンダーから獲得したトレードと比べると些細なトレードように思えるかもしれない。(クリッパーズは更にカワイ・レナードとサインをしたことでNBAのパワーバランスを大きく変えた。)そのトレードで元ソニックスは史上最大の対価を手にした、2人の手堅い選手と7つの1巡目指名権だ。

いかにNBAのチームが時間をかけて構築されていき、誰も予期せぬ方法でアセットの価値が上がるか、そんなことがこの記憶する中で最もド派手なトレードに詰め込まれていた。このビッグトレードによりロサンゼルスはチャンピオンシップ獲得の期待が大いに高まり、オクラホマシティには前例のない見返りがもたらされた。

そんなトレードの発端は遥か前だ。関わった選手たちとフロントたちのキャリアをかなり遡らないといけない、生まれてすらいない選手もいるくらいに。

当時、サンダーのサム・プレスティGMは大学にいた。ジョージは小学生だった。オクラホマシティのガード、シェイ・ギルジャス・アレキザンダーは生まれてもいなかった。

NBA史上最も指名権が動いたトレード

始まりは1997年のなんてことないトレードだ。それはウォーカーが1998年に高卒選手で後のオールスター、ラシャード・ルイスを指名したことで紡がれた。そして、物語は2007年に大きく動き始める。

2007年はソニックスが29歳のGMを雇った年だ、若きGMの名はサム・プレスティ。

「自分がしていること、日々どうやって仕事を片付けるかを分かっているかのように振る舞っていたこと以外は何を考えていたかな」プレスティは就任時を振り返る。

ルイスは次の大型契約に向けてFAに入っていた、ソニックスはリビルドに入っていたため彼をキープするために多くを払いたくなかった。しかし、ルイスがオーランド・マジックと契約を結んだとき、ソニックスは彼をただで手放したくもなかった。プレスティはその2つの相反する思いを同時に満たす名案を出した。

ソニックスとしてまずルイスと契約を結び、そして彼をマジックにトレードしたのだ。

Win-Winシナリオだった。ルイスは年15ミリオン以上の契約を勝ち取り、マジックはより長い契約を結ぶことができ、ソニックスは9.5ミリオン以上の“トレードエクセプション”を手にした。これは画期的なアイデアだった、GMがNBAというスーパーヒーロー界でのマッドサイエンティストとして認識されていない時代として。(普通のファンはGMが何なのかなんて知りもしなかったし、知っていたとしても誰もサラリーキャップについて注目なんてしていなかった。)

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2007年はどれほど前なのか?プレスティはルイスが新世代アイテムを持っていたことに驚いていた、iPhoneだ。

しかし、当時から誰もが考えていないところに価値を見出すことが最も賢いスポーツチームの構築方法とされており、ドラフト指名権の価値を見誤ることで市場価値が下がるとされていた。ソニックスはドラフト指名権を集め始めた。本質的にはリスキーな戦略だと分かっていたし、それは正しくてプレスティは1巡目指名で失敗もしている。しかし、2007,08,09年にケビン・デュラント、ラッセル・ウェストブルック、ジェームス・ハーデンを指名したのだから関係なかった。

プレスティはそうしたスーパースターをシアトル自前の指名権で指名した。加えて、その指名の間にもう1人当てている。(元々別のチームの指名権で指名した選手だ、ルイスに感謝しないといけない。)

プレスティは3年連続でMVPを指名した

ソニックスはチーム改革のためにトレードエクセプションを無駄にしなかった。9.5ミリオンを更にドラフト指名権に変えたのだ。2007年7月、フェニックス・サンズがサラリーダンプを模索していた、シアトルには契約残り1年のカート・トーマスを引き取る余裕があった。重たい契約の選手の放出にサンズは2つの1巡目指名権を差し出した。

取引相手は今やサンズのGMではなくなっている、ゴールデンステイト・ウォーリアーズのHCだ。

“そうだったの?どのNBA選手も辿っていけばカート・トーマスに行き着く?ケビン・ベーコンじゃないか”スティーブ・カーは驚いていた。

NBA界のケビン・ベーコンは7ヶ月後に再びトレードされた、また別の指名権と。プレスティはラシャード・ルイスを2008,2009,2010年の1巡目指名権に変えた。今度は指名権で選手を指名するフェイズだ。

スティーブ・カーの冗談が分からない場合は上の記事を読むと意味が分かるはず

はじめは2008年24位指名だ、プレスティはサージ・イバカを指名した。8年後、ソニックスがサンダーになり、イバカは契約残り1年でトレード価値の高い選手だった。プレスティはイバカの価値を最大限活用するべく2016年に彼をオーランドにトレードし、ヴィクター・オラディポとドマンタス・サボニスを獲得した。そして、オラディポとサボニスは1シーズンだけサンダーに在籍し、2017年にポール・ジョージとトレードされた。

そうして、シアトルを去ろうとしていたオールスターはオクラホマには縁もなかった別のオールスター選手へと変わったのだ。

ジョージとウェストブルックはサンダーが思い描いたようには機能しなかったが、デュラントが去った後もウェストブルックを引き止めることができ、2018年にはジョージの長期契約につながった。2人は全盛期をサンダーで迎えるはずだった、ジョージが昨年レナードとプレーしたいと要求するまでは。

この記事では触れられていないが、イバカのトレードにはアーサン・イリヤソバも含まれており後にジェラミ・グラントにトレードされ、さらなるトレードで最終的に1巡目指名権に変わった

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この要求でサンダーは不思議な立ち位置になった。自チームのベストプレイヤーがトレードを要求しても、レナードがライバルのレイカーズにいかないようにクリッパーズが必死だったことを知っていた、サンダーは突然優位な立場を手にしたのだ。

そして、サンダーは1人の選手からとてつもない見返りを手にした。

ーシェイ・ギルジャス・アレキザンダー、ダニロ・ガリナリ、マイアミ・ヒートの2021,23年1巡目指名権、クリッパーズの2022,24,26年1巡目指名権そして2023,25年のスワップ権ー

かつての1998年2巡目指名権が2人の選手と2026年までの7つの1巡目指名権へと変貌を遂げた。


サンダーはポール・ジョージだけをトレードしたのではなく、まるでカワイ・レナードもトレードしたかのようだった。NBAのベストプレイヤーの1人から大きな見返りを手にした、契約下の選手でもなかったのにだ。

本質的にサンダーは自らの“今”をクリッパーズの“未来”に変えた。かつてこれほど片方のチームが指名権を手にしたトレードはなかった。2026年に指名される選手は現在小学6年生の宿題をしているかもしれない。2007年の決断が現在にもこうして影響しているとは想像だにしなかったことをプレスティ自身も認めている。

「我々が実行したアイデアが25年もの間、影響が続くだなんて思いもしなかった。」

間接的に関わった2人の人物も同じように感じていた。

元デンバーのGMアラン・ブリストーは今は釣りや狩りをして過ごしている。ジョージのトレードが起きたときは孫のおもりをしていた。彼はこの物語に絡んでいることを知らなかった。

ウォーリー・ウォーカーはこの取引の恩恵をまもなくうけることになる。シアトルの友人からNBAの試合の招待券をもらった。

その友達とはクリッパーズオーナーのスティーブ・バルマーだ。

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