【記事訳】『クリス・ポールがオクラホマで見出した幸せ』

Chris Paul Has a Purpose in Oklahoma City
...

スポンサーリンク

12月半ばの月曜日、オクラホマシティは-3℃の極寒だった。デニムシャツなんかを着て厚手のコートを持ってこなかった記者は笑いものにされる、そんな日だ。サンダーはキングスとナゲッツに敗れて7日間の遠征を終えた、今からホーム5連戦が始まるところだ。OKCのベテランPG、クリス・ポールはナゲッツ戦の後にロサンゼルスに立ち寄っていた。チームとは別行動をして体調を崩していた7歳の娘に会いに行っていた、父親に会いたがっていたのだ。24時間もしない内にポールは家族を後にし、夜遅い便で暖かいロサンゼルスから極寒のオクラホマへ向かった。到着したのは朝3:30で数時間後にはチーム練習が始まる時間だった。サンダーはその日の夜7時からブルズと試合があった。これがPoint Godにとって新しい日常だ、彼のバスケットボール人生はキャリアが始まった場所に戻っていた。

どのようにポールがオクラホマ(ハリケーンカトリーナの影響で彼がルーキーシーズンの大半を過ごした場所)へ帰ってきたのか、少し振り返ろう。ウォーリアーズに2nd.ラウンドで負けた後、ロケッツはポールと指名権を引き換えにフランチャイズの顔だったラッセル・ウェストブルックを獲得した。ロケッツが破れた後、ポールとジェームス・ハーデンの間には明白な亀裂が生じていたが、ポールはヒューストンのダレル・モーレーGMに自分をトレードしないと言われていたことを明かした。

ポール「シーズンが終わった後、チームと連絡を取った。そこで言われたんだ“もし別の道を進みたい選手がいたらすぐに教えてくれ、なんとかしよう”ってね。彼らは優勝を追い続けると言っていた。そして俺にオクラホマに行きたいか聞いてきたんだ、だからその気はないと伝えた。そしたら“だったらトレードはしない、君はLAからここを選んで来てくれたんだからね”と言われた。他には別に何も言われなかった、それがそこでの会話の全てだ。」

ポールはサウスカロライナ州ノースオーガスタで開催されていたAAUトーナメントでチームCP3を観に来ていた。そこで彼はトレードされたことを知らされた。7月のはじめにサマーリーグでシェイ・ギルジャス・アレキザンダーにたまたま会った際に、オクラホマで頑張るよう伝えたところだった。今や二人はチームメイトだ。

ポールの兄CJ「彼はショックを受けていた、みんなショックだった。これがビジネスなんだと思い知らされた瞬間だった。でも起きてしまった以上、動くしかなかった。」

ポールはトーナメントに残り、チームを見届け、周りに挨拶をした。みんなポールと同じようにショックを受けていた。次の日の朝7時、彼は自分がコントロールできることに集中し直そうと元教え子のコリン・セクストンと練習をした。ポールが練習をはじめると同時にトレードの噂が回り始めた。“ヒートがポールを狙っているのでは?”、“優勝候補のチームがポールを欲しがっているのでは?”、“サンダーはポールとは別にもう一人スター選手を獲得したがっている”

スポンサーリンク

噂が出回り始めて1週間後、ポールは行動する。エージェントからサム・プレスティGMの電話番号をもらい新しいチームについて聞いた。そして、新しいチームメイトたちと連絡をとり、遅めのサマーワークアウトを実施した。4日間バスケットボールに集中し、ポールはチームの方向性を感じ取ったが、自分がどのように振る舞えばいいかは分からなかった。周りは気を遣っているようだった、ポールはオクラホマにいるみんなに向けてこう言った。

「俺は中途半端なことはできないんだ。」

オクラホマに行くと話は一気に進んでいった。彼ほど闘争心をもった選手が再建しようとするチームでプレーすることなんてできなかった。いくつかのメディアがポールのことを「板挟み」などと表現した、言いたいことは明らかだ。ポールが優勝候補以外のチームでプレーするのは10年ぶりだ。しかし、それは重要なことではないと言う。

「いつもみんな自分の考えを押し付けてくるんだ。俺はその時その時を生きてる。何か起これば、動くしそこに順応する。今はバスケをする、体調はいい。楽しみにしてるよ。」

たしかに噂話は筋が通っている。キャリア終盤でチャンピオンリングを持っていないポールが幸せだって?本当に?しかし、ポールが現状を楽しみにしてるという思いは周りにも伝わっていた。まだそれが信じられない人がいたら根拠を教えよう。彼によると、彼もしくはエージェントからサンダーにトレードを要求したことはないそうだ。

ポールはスーパーチームに行くためにサラリーを犠牲にすることはない。ポールは最終年の契約を破棄するつもりがあるか、つまり優勝候補のチームにいくつもりがあるかどうか、聞かれた。(2021-22年44.2mil.の大型契約が移籍の障害になっていた)「ノーチャンスだ。起こり得ない、絶対に」ポールはすぐに回答した。

サンダーにとって、ポールは重荷なんかではなかった。彼はプレスティと同じ考えだったし、近い将来大きな成功をおさめた時代から再建の時代に移っていく中でポールがいればコートで闘えるチームにすることができる、組織として価値のあることだ。今はチームもポールも様々な状況を視野に入れ、必要な時にだけ考えるようにしている。ポールが移籍するとなれば、彼とフロントオフィスが一緒に物事を決めていけばいい。ウェストブルックとジョージのときにしたように。

プレスティ「クリスをトレードで獲得したとき以外、我々はこれから先について話していないし、その必要性も感じていなかった。トレードがすぐに決まったから時間が必要だった。お互いに信頼し合うことが大事だと思っていた、彼のエージェントと協力して自分たちの状況を踏まえた上で彼がどこに向かおうとしているか理解する必要があった。彼のプロ意識、視野、成熟度はすばらしい。我々は変遷期だったから、彼がどうやってチームを押し上げてくれるか(が楽しみだった)。ただ言えることはクリスは我々の期待以上だったということだ。」

サンダーのコーチ、ビリー・ドノヴァンはポールが出会ったときからやる気だったと言う。「彼がトレードされてきて、はじめて話したとき“出回っている噂について全ては分かっていない”と伝えた。そうしたら彼は“分かっているのは1つだけだ。俺はこのチームに所属していて、この組織に可能な限り全てを捧げること”とね。そして、本当に言った通りのことをしてくれた。」

ポールはオクラホマシティで幸せを見出していた。コート上では、アイソレーション&3P偏重のヒューストンでなくなったことで再びポイントガードとしてプレーできた。チームの司令塔としてプレーできるだけでなく、ジェームス・ハーデンのサポーティングキャストでなくなりチームの大黒柱になった。

ヒューストン時代は何度も怪我に悩まされていたが、ポールが“Point God”へと戻ると同時に健康面も改善された。昨夏、ポールはトレーナーと練習方法を変更し、プラントベースダイエットを始めたのだ。(こっそり魚を食べる数日を除いて)

結果を出すことに集中しつつ、ポールは変化の過程も楽しんでいた。過去2年とは違う体に変わっていき、コート上でスポットライトを浴びるようになってきた。ポールはそうしたことに喜びを感じていた。

プレスティ「世の中には職人と技術者がいる、CPは技術者だ。例えるなら、彼はものすごく運転がうまいドライバーでさらにエンジンを分解して組み立てることができる、目隠ししたままね。」

若いサンダーの選手もポールのような選手がチームにいれば恩恵を受けることができる、コートの中でも外でも。ルーキーのダリアス・ベイズリーはポールから様々なアドバイスを受けている、練習の仕方から身を固めるためにはどういう女性がいいか、まで。こんな話もある、ベイズリーの母親は息子のデビュー戦、アウェイのジャズ戦を観に行けないはずだった。ポールはそれを聞くとベイズリーに家族に連絡をとってスケジュールを調整するよう伝えた。そして、ベイズリーの母親はユタに来て息子のデビュー戦を見届けた。

ポールとギルジャス・アレキザンダーの仲はより親密かもしれない。彼はライジングスターでサンダーがオフに獲得した原石だ。

「前はクリスがお気に入りの選手だった」澄ました顔でギルジャス・アレキザンダーが言う。「でも毎日見てたら、お気に入りってほどではなくなったよ」

ギルジャス・アレキザンダーがルーキーシーズン、ポールとのマッチアップはどうだったか聞かれたときの答えはもっと辛辣だ。

「彼のディフェンスについて言えば大したことなかったかな」彼は笑っていた。「クリスは小さいガードで自分は大きいガードだから。そういうときは自分にとってイージーなときが多い」

ポールはそんな21歳を練習後のフリースロー対決で倒し続ける、ブルズ戦の次の日の練習でも一緒だ。(フリースローを打って先に11点を取ったほうが勝ち、リングに当たらずに入ったら2点。ただし、11点を超えてはいけない、というのがルール。ポールは2連勝していた。)

CPとSGAは親友だ。練習後、試合後はいつも一緒にシューティングをするかふざけあっている。二人ともバスケットボールが大好きでロードではいつも一緒に試合を見ている、あるときはステーキ屋で、あるときはポールのホテルの部屋で。複数デバイスを使いながらだ、対戦相手に関するメモを交換することもしていた。

トレードの噂が出回っていたが、サンダーはみんなが仲良さそうに見えた。親密は言い過ぎだとしても、少なくともチームとしてまとまっていた。12月のグリズリーズ戦の前、選手全員がカスタムメイドのスーツに身を包み登場した。ポールがプレゼントしたものだった。なんとセンターのスティーブン・アダムスがシューズを履いてきたのだ、ポールがトレードでオクラホマシティに来たことよりも驚きだったかもしれない。

試合後のロッカールームでポールはスーツ姿を1人ずつ講評していた。“SGAはR&Bのスターみたいだ”、“ベイズリーとテレンス・ファーガソンは二人とも牧師さんみたいだ、ベイズリーはロッカールームに入ってきて面白くない話をしそうだし、ファーガソンはブレザーに入れた聖書を配っているふりをしてそうだ”

彼はトレードして欲しくないと言ったチームでプレーしている。しかし、ポールが他のチームへ行きたいと思っている素振りは見せないとチームメイトたちは言う。「触れちゃいけないことでもないよ、そんなものなんてないからね」ベイズリーがトレードの憶測について語る。「ロッカールームにそんな人誰もいない、コーチも、スタッフも。自信を持って言えるけど、みんな同じ考えのはずだ。クリスは責任感のある男で中途半端なことなんてしない、途中で投げ出したりしないからね」

若い選手との絆が深まったことで、クリスには新しいやる気が生まれていた。

「あいつらにも感謝しないと」ポールは言う。「今家族とは離れて暮らしているけど、練習があるときはそこに行くのが楽しみなんだ。あいつらと競い合えるし、楽しいチームだから、みんなが求めてることだよね。俺たちはどんなチームともやり合える。分析だとか確率だとか、なんやかんや言うけど、ボールがトスされて試合が始まれば俺たちに勝つチャンスはあるんだ」

勝つチャンスはポールにとって重要なことだ。ただメンターとしてオクラホマシティに来たわけではない。

「“俺ができないからお前がやってくれ”なんかじゃなくて、みんなでやらないといけない。」

夜中の3:30に帰ってきてシカゴとの試合をこなした次の日、チャリティーイベントの一環として地元のスーパーで子どもたちを前にポールはスピーチをしていた。子どもたちはポールに質問攻めする。“僕はお金持ちになれますか?”、“あなたはサンダーのベストプレイヤーですか?”、“僕のInstagramをフォローしてくれますか?”

Q&Aが終わると、ポールは子どもたちに$100のギフトカードを配ると伝えた、少なくとも誰か一人にはそのお金でプレゼントを買うことを約束に。ポールはキッズショプで子どもたちに混ざり彼らが大好きな人にどんなものを買うかを見たり、$100を超えないように計算してあげたりしていた。子どもたちはみんな満面の笑みで帰っていった。一人の子はお母さんにgalagaのグッズを買っていた、彼はそのゲームがお母さんが子どもの頃大好きなゲームだったと知っていたそうだ。

プレスティはポールに内緒でイベントに来ていた。(兄のCJによると「ずっとイベントをやってきたが、クリスのGMが来たのは初めてだ」そう)店にいた人たちはプレスティとも写真が撮れる、とわくわくしていた。それは子どもだけでなかった。少し年配のファンが現れて、プレスティにオクラホマシティ・ホーネッツのサイン入りカレンダーを誇らしげに見せてきた。別の人はポールがルーキーシーズンのときのボブルヘッドを持ってきていた。(そのボブルヘッドはかなり髪が少なく、ポールは「俺の生え際このときはこんなんじゃないよ、伏線だったのか」と冗談を言っていた)

その夜、ポールの家族もそこにいた。ポールの母は残ったギフトカードをイベントに参加していない人に配っていた。父親はキャンディーバーの横にあった自動車雑誌をパラパラ見ていた。イベントが終わると、みんなでポールのマンションへ帰った。カードゲームバトルの始まりだ。

今のポールを心を動かすのは、優勝への執着ではなく家族と過ごす時間だ。ポールの妻ジェダ、二人の子どもキャミリン・アレクシス、クリスJrはヒューストンからトレードされた後、ロサンゼルスに戻っていた。CPはサンダーの協力でできるだけ彼らと一緒にいられるよう過ごしている。スケジュールが合えば自己負担でロサンゼルスまで往復した。単身赴任はキャリア初で想定していなかったことだった。

ポール「チャウンシー・ビラップスがクリッパーズに来たとき、彼の家族はデンバーに住んでいたことを思い出したよ。忘れないよ、ロスでは家族、兄弟、奥さんと住んでいた。奥さんにはそんなことは俺には起こらないよ、と伝えていた。彼女も“分かってる、どのチームに行こうともそこには家族3人も一緒に行くことを伝えてね”って言ってた。どのチームに行こうが、奥さんと子どもたちを置いていけないよ。」

ヒューストンでは妻、子ども、シェフ、兄、義理の妹とその家族、トレーナーみんなで過ごしていた。オクラホマでは彼とボディーガード二人だけだ。CJは可能な限りホームゲームを観に行こうとしている。ポールは子どもたちが寂しがっていることを知っているし、フェイスタイムだけでやり取りするのが難しいことも分かっている。「俺にとっては大したことない。奥さんに焦点を当ててあげないと。子どもたちがご飯を食べて、学校に行って、ちゃんと面倒を見てもらっていることは分かってるから安心してる。大変なのは奥さんなんだ。」

「スポーツの話をしているのは分かってるけど、もっと深く人生について話すなら、例えば家族と過ごす貴重な時間を犠牲にして、NBAで24年も25年もプレーして優勝することを選ぶ?ずっとベンチにいる老いぼれとして?ありえない。毎日毎日優勝するために練習するか?それは当たり前だ。それをやらずに優勝はありえない。でも優勝したけど親としては最低だったら、それは優先順位がめちゃくちゃだ。」

でもそれはポールの負けず嫌いがなくなったことは意味しない。「もしこの場でボードゲームを始めたら、俺はチャンピオンリングを取るつもりでやるよ。」

ポールのレガシーはコート上にとどまらない。サンダーの試合を見ていなくても、CMで画面に出てくるし、彼の名前はヤングサグの“Mixtape”の歌詞に出てくる。彼にはボブ・アイガー(ディズニーの会長)やバラク・オバマといった著名な友人がいる。(彼はアイガーと少なくとも1週間に1度は話す、例えばどうやってディズニーの会長が中国に行きながら家族との時間をつくっているかなど)

一方で彼は次世代NBAプレイヤーとのつながりがたくさんある、ポールにはAAUのチームがあるからだ。シカゴのコビー・ホワイト、ミネソタのジョシュ・オコーギ、ブルックリンのセオ・ピンソン、彼らは10代の頃からポールと知り合い、今は仲間だ。若い選手たちの相談相手になることで彼らの未来を変えてきた。

オコーギ「CPはいつでも勝ちに全力だ、カードゲーム、ドミノ、やることはなんでも。それがジャンケンでもね。彼は出し抜いてこようとするよ、でもいい人なんだ。今、電話してもアドバイスをくれると思う。困ったときはいつでも助けてくれる。」

ホワイト「高校生の頃、父親が死んだんだ。僕は17歳だった。そんな時クリスは時間をとって僕に話してくれたんだ、励ましてくれたし、大丈夫かどうか心配もしてくれた。彼はいつでも僕を助けてくれる、いつ電話しても対応してくれるしね。どんなことでもサポートしてくれるんだ。」

ピンソン「トップレベルの選手がいつでも助けてくれるんだ、大きなことだよ。特に大学時代はいつも彼が大丈夫かどうか聞いてくれた。彼が僕の潜在能力を引き出してくれたんだ。彼はオールスター選手だよ、そんなことする必要はないのにね。」

今シーズンここまで、ポールよりも得点、リバウンド、アシストを記録しながらTS%が60%をこえているのはハーデンだけだ。「ヒューストンでの2年間は素晴らしかった」ポールは続ける「でも今シーズンは勝負どころの時間帯が楽しいんだ。接戦でボールをもって、シュートを打ちまくるわけではないけど、チームに頼りにされている。ああいった瞬間が俺にとって生きがいなんだ。」

12月のブルズ戦、前半サンダーは良くなかった。シュートはオクラホマシティの気温と同じように冷え込んでおり、前半で最大26点差付けられていた。

3Qの途中まで勝率5割以下のチームのベンチメンバー相手に18点差で負けていた。ポールはボールを運ぶと、右ウィングにパスをする。すぐにミスだと気付いた、ボールが指先から離れると同時に「くそ!」と怒りを爆発させる。方向を変え懸命にディフェンスに戻り2on1の状況まで持ち込むと、トーマス・サトランスキーのシュートをチェックした。相手ガードのシュートは外れた。

その約15分後、サンダーは猛烈な追い上げをし遂に101-100と逆転した。ポールは3Q以降5本(4Qだけで4本)の3Pを決めていた。残り3分を切ると、ラウリ・マルケネンにスイッチさせるためにポールは左ウィングでピックプレーをコールした。ポールはこのQですでにマルケネン越しに3Pを決めている。ペリメーターでビッグマンに自分をマークさせるとすぐに次のプレーをコールした。

いや、彼が本当にそのプレーをするのか?

ポール「時々スイッチさせたら、試合だからチームメイトはみんな分かってるけど、リップスルーをする。みんな俺が毎試合やっているのを見ているから頭に残っているんだ。ボールスクリーンを呼ぶふりをしたら、あとは一瞬の隙を見てシュートするだけだ。」

トップオブザキーからポールが動き始める。マルケネンは離しすぎていた、ポールがそのQ5本目の3Pを決めるとサンダーは4点リードになった。ポールは残り90秒から4本のフリースローを決め大事なオフェンスリバウンドも取った。サンダーは109-106で勝利し、ポールは30得点、10リバウンド、8アシストを記録した。

試合が終わり観客がほぼいなくなった後、ポールはロッカールーム近くの廊下でギルジャス・アレキザンダーと友人と軽く話していた。右の中指を突き指しており痛めていたが、次の日にはSGAをフリースロー対決で倒すし、チャリティーイベントにきた子どもたちと握手をする。この2日後にグリズリーズ戦でまた大逆転を牽引する。

街も、天候も、勝率も、ジャージも一年前とは全く違う。それでもポールは楽しんでいる。

※一部省略している箇所、補足している箇所あり

スポンサーリンク

リンク

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました