14年連続でサム・プレスティはメディアデイの数日前になると開幕に向けてプレスカンファレンスを開いてきた。そしてその14年、毎回サンダーがオクラホマシティに来てから何シーズン経つかに触れてきた。
プレスティ「オクラホマシティでのバスケットボールが14シーズン目に突入するという事実がとても喜ばしい。2008年からずっと素晴らしい旅を続けてきた。みなが恩恵を受け、みなが本当に感謝している。だから、この年もとてもスペシャルなんだ。」
この14年までにはそれぞれ異なる色、テーマがあった。目指すべきものも違えば、質問も答えも違った。しかし、今回の14個目は白いキャンバスに新しいサンダーを描いていく、そんな感じがする。
サンダーはここ数年でロスターを変更しながらたくさんの有望株を獲得し、再び長きに渡って成功を続けるため“Repositioning”をした。サンダーはオクラホマシティでの13年間で11度プレーオフに出場し、その期間では4大スポーツでもトップクラスの勝率を収めたフランチャイズだ。オールスター、MVP、将来の殿堂入り選手が次々と在籍するなど、他に前例がないような基礎を10年そこそこで築き上げてきた。13年前のサンダーから今のサンダーまでを思い返すと気が遠くなる。
プレスティ「サンダーにはすばらしい歴史がある。率直に言うと、今サンダーにいる選手たちの元になっているのはここ10年の歴史とここにいた人々、築いてきた伝統だ。しかし、今の我々には自分たちで未来を築き、歴史を作るチャンスがあって、しかもそれには時間がかかることを理解している。」
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サンダーが初めてオクラホマシティでプレーしたのは2008年10月14日のロサンゼルス・クリッパーズ戦だ。プレシーズンゲームでスターティングラインナップにはクリス・ウィルコックス、アール・ワトソンやヨハン・ペトロなどがいた。
私も友人のアンディと試合を観に行っていた、ラウドシティのほぼ一番上の客席から身を乗り出して試合を観た。いつかOKCでプレーオフを観ることができたら、いやウエスタンカンファレンスファイナルを観られたらなどと、ありえない空想にふけっていた。そして何度も思い出すのは、まるで他の場所にいるかのような不思議な感覚だった。オクラホマシティにいるように感じなかったのだ、“自分たちはプロスポーツチームがホームと呼ぶような大都市にいるに違いない”とさえ感じた。
当時サンダーのモットーは“Rise Together”で、それはTシャツやタオル、車のフラッグ、看板にも使われていた。その2語は新しいプロスポーツチームのメンタリティだけでなく街自体も表していた。チームと街が前向きに発展していくための夢と希望が詰まった統一スローガンだ。
これを読んでいるあなたはこの後、何が起こったかよくご存知だろう。急速な発展を遂げ、州と街はプライドを持ち始め、敵対していた大学スポーツファンたちが手を取り合った。単に存在しているだけでなく、プロスポーツにはそんな力があるのだ。
共に歩んできた13年間でサンダーはオクラホマを特別な存在にし、オクラホマはサンダーを特別な存在にしてきた。2つは密接に繋がっている、単にバスケットボールのプロチームがオクラホマシティでプレーしているのではない、税制優遇を受けたり安い土地を有効活用したりしているわけではない。サンダーは今や街の柱を担っている。人々によるチームで、コミュニティによるクラブだ。サンダーは、困難な状況でこそ力を発揮し仲間意識を持って協力し合う、というオクラホマの人々の価値観を体現している。
今サンダーが変遷期にいることは明らかで、従うべき方針があることは想像に容易い。その方針とは“Rise Together”だ。物語をまた1ページ目に戻り読み始めないといけない、ただし今度の主人公は別のチームだ。
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プレスティ「プロスポーツのすべてのチームが経験するサイクルに突入している。過去の世界に行き2008年に起きたことを再度やれるとは思えない、もう10年も前のことだからね。街自体も完全に変わってしまった、掲げていた野望の多くを達成した、チームにも掲げていた野望があった。」
困難なプロセスになるだろう、忍耐が試され疑いが生じてくることもあるだろう。そんなときこそ街の柱は立ち上がるべきである。オクラホマの人々は困難を乗り越えてきた。
プレスティ「無理だと文句を言う人もいるかもしれないが、我々の歩みを止めることはできないし、野望を止めることもできない。ショートカットができることは分かっているが、自ら道を切り開かないとツケが回ってくることも分かっている。
我々の街、コミュニティの特徴の一つだ。オクラホマの人たちは他人から与えられることや何かもらうことを期待していないと思う。オクラホマの人たちが楽しようとしたり、サボったり、他人任せにするなんて聞いたことがないからね。言い訳をすることに全く興味がないんだ。」
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デボンタワー(正式にはデボンエナジーセンター)の建設は2009年10月9日に始まった。見事なたたずまいでガラスに青空を写すその建物は52階建てで844フィートの高さだ。オクラホマで最も高い建物でオクラホマの地平線上にそびえ立つ。
完成する1年前にはオクラホマシティで最も高かった建物の高さを抜いた。チェイスセンターとして知られるその建物はシカゴのパークタワーと並んでアメリカで62番目に高い建物だった。
初めにクレーンが設置されたのは2010年2月、2台目のクレーンはその一ヶ月後だった。2010年7月にはその姿がストリート上にあらわになり、その2ヶ月後には10階建ての高さになっていた。
2ブロック南のRon Norick Blvd. とReno(両方とも道の名称)の角でサンダーが産声をあげた。3勝29敗という壊滅的な状況から必死に抜け出していた。50勝を挙げウエスタンカンファレンスのプレーオフに進むと、チームの未来がやってきた。サンダーは1階1階土台を積み上げていく、2011年にはカンファレンスファイナル、2012年にはファイナル。時を同じくして、2012年10月タワーの建設が完了した。
タワーはオクラホマの名所となり、街をバカにする人に対抗しうるものになった。“ここにはチャンピオンシップレベルのプロチームも大都市の超高層ビルもあるんだぞ”
タワーの建設が終わると、ミック・コーナット前市長はこう述べた。「タワーには見た目のインパクトがあるし、印象的でどこからでも見える。たった3年で地平線の中心を担う建物を建てたんだ。」
当初の計画ではタワーにはデータセンターも含まれていたが、セキュリティとスペースの問題で別の設備が設置された。それにより、タワーは54階建て925フィートの高さとなった。意図して高くなった。
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2020年12月26日、昨季サンダーのシーズンが開幕した日だ。短いオフシーズンの後、サンダーは新しいロスターで見通しがはっきりとしなかった。
シャーロットでホーネッツ相手の開幕戦、46分間いいバスケをした後、若いサンダーはリードを溶かしていた。残り2:13で13点リードしていたが、連続3Pで残り10.3秒に同点に追いつかれたのだ。
オフシーズンの動きから、ボールが託されるのは当時サンダー2年目でまだ22歳のシェイ・ギルジャス・アレキザンダーになることは分かっていた。タイムアウトは残っていなかったので、すぐにインバウンドしてギルジャス・アレキザンダーはボールを運ぶ、ハーフラインを越えて加速するとディフェンダーにインサイドアウトドリブルをしながらアタックした。ディフェンダー、コディ・マーティンの重心がかかとに行くと、スペースを確保したギルジャス・アレキザンダーはジャンパーを放った。リムにも当たらずシュートが入る、サンダーの勝利だ。
ケガとプロトコルだらけでほとんど記憶に残らない奇妙なシーズンにおいて、今まで続けてきたものをプレスティが感じた瞬間だった。“Rise Together”のときからのサンダーファンはウォリアーズ相手にジェフ・グリーンが決めたゲームウィナーを思い出したかもしれない。辛い敗戦もあったが、粘りのプレーやポスターダンク、垣間見える“Greatness”がその後のステージに繋がった。
そうした瞬間が記憶になり、アリーナは過去から現在、そして未来へと紡がれていった。成長し発展していくそのさまが爽快で、いつか辿り着く高みに向けて続けていく歩みを追ってきた。そのときはその高みを目指していた。
プレスティ「組織内で言っているのは、“周りは結果を褒めるけど本当に評価されるべきはその過程”ということだ。その結果、我々はオクラホマシティで本当に高いレベルのバスケットボールをしてきたし、アリーナは盛り上がりプレーオフでも勝ち上がるところをファンはを見てきた。そのときはほとんど振り返ることなんてなかっただろうね。」
スポーツのゲームをしたことがある人は始めからレート95のチームを選択して優勝を重ねてもおもしろくないと知っている。だから、みんな3部リーグのいい選手が少ないチームを選択して強くしていく。名高いクラブチームと戦いながら、勝者への道を模索していく。楽しみはその過程にあるのだ。
オクラホマシティは歩みを続けてきた、人々も多様化し、長きに渡って後回しにされてきた社会的なニーズに答えようとしている。新しいプロジェクトや街の発展に伴い、今やMAPは第4版になった。1990年代とも2000年代とも2010年代とも全く違う街になった。デボンタワーの横に超高層ビルを建てようとはせず、他の分野に力を注いできた。2012年と今のOKCの写真を見比べたら違いが分かるはずだ。シザーテイルパーク、新しいコンベンションセンター、新しいホテル、新しいコミュニティスペース。街は開発が進み、活性化され、歩みを止めまいと進んでいる。
私の知り合いでオクラホマに住んでいる35歳以上の人はみんな中心街が廃れていたときのことや食べるところはスパゲッティの店しかなかったことを話す。それが今や活気があり、多様で進んだ街になった。世界的に有名なレストランもあるし、オリンピックとパラリンピックの練習地にも指定され、一流の博物館もアートも音楽も映画そして文化もある。今、OKCをドライブしたら最前線の街を経験できる。それを経験するとオクラホマがどこからのし上がってきたかというプライドを強く感じられる。
The joy is in the journey and only the real ones will know.
楽しみは旅の途中にある、そして共に旅をしてきた人だけがその楽しみを知るのである。
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