ポートランド・トレイルブレイザーズのホーム、モダセンターではレイモンド・フェルトンがボールを持つ度に会場中からブーイングが鳴り響く。
なぜブーイングが起こるのか?その起源を知るには10年以上の時を遡らないといけない、そしてこのときの出来事はフェルトンのバスケットボールキャリアを大きく変えることになった。
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「太りすぎだった」
太りすぎだった、ロックアウトの年(2011-12シーズン)で準備ができていないままシーズンに入ってしまったんだ。自分以外の誰のせいにするつもりもないよ。
レイモンド・フェルトン
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2011年、PORに移籍したフェルトンは体が作れていない状態でシーズンインしてしまう。ロックアウトの影響で準備ができていなかったこと、また母親が病気でメンタル的に安定していなかったことが原因だった。
当然、調整不足で活躍できるほど甘くはなく始めの35試合でFG37.5%-3P25.2%の大ブレーキ。しかも、あろうことか当時のフェルトンは自身の不調をHCネイト・マクミランのせいにしてしまった。
(2012年当時のコメント)
苦しんでいるのは確かだ。だけど、周りが信頼してくれていない中でどうプレーしろって言うんだ。バスケットボール人生の中で初めてだ、コーチが信頼してくれていないのは。そんな状態でプレーするなんて難しいだろ。
レイモンド・フェルトン
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前年48勝しておりファンからの期待も大きかったブレイザーズはこの年プレーオフに進むことができなかった、その状況において調整不足で活躍できなかった選手がコーチまで批判したらファンのヘイトを買うのは当然なのかもしれない。
他にも、フェルトンのトレード相手がPORファンお気に入りのアンドレ・ミラーだったこと、翌年NYKに移籍したフェルトンがトレーニングキャンプ初日に10kg体重を落としたことを意気揚々と語ったこともPORファンの感情を逆なでした。
そして2016年、PORファンサイトで発表された「ブレイザーズの敵ランキング」で『レイモンド・フェルトン』は見事2位に輝く。
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後にフェルトンは当時の言動をこう反省した。
自分にとって最悪のシーズンだった。自分以外のせいにするつもりはないよ。よくない発言もあったけど、当時は熱くなってしまったんだ。自分の言動は若さゆえの過ちだった、キャリアのこの時点で、今の歳の自分が振り返るとおそらく当時と違った対応ができただろうね。
レイモンド・フェルトン
それでもブーイングが止むことは最後までなかった。
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「おっちゃんって呼ばれてる」
2017年オフ、FAでサンダーにやってきたフェルトンは全試合に出場し平均16.6分-6.9得点-2.5アシストの活躍でラッセル・ウェストブルックのバックアップを務めあげた。
しかし翌オフ、サンダーと再契約するもデニス・シュルーダーの獲得で3番手PGとなり出場機会が激減してしまう。
(出場機会の激減が)
辛くないと言ったらウソになる、辛いよ。心が痛む、けど同時に自分の役割は理解している。
レイモンド・フェルトン
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出場機会が減る中でフェルトンが受け入れた役割は若手のメンターだった。
中でもかわいがっていたのがテレンス・ファーガソンだ、甥のジェレックの元チームメイトということもありファーガソンがNBAに入る前からフェルトンは彼の成長を見てきた。
ファーガソン曰く、試合中はいつもベンチからフェルトンの声が聞こえていてそれを頼りにしていたし、ベンチに下がったときはいつもフェルトンの隣に座ってアドバイスをもらっていたとのこと。
レイモンドは絶対に(試合に出られないことで)落ち込んだり、コーチに文句を言ったりしないんだ。オレたちにも不満をもらしたりもしない。試合に出られないかもしれないってことを理解して、その役割を受け入れてる。レイモンドのエナジーがどんな試合でも練習でも自分たちの力になるんだ。
テレンス・ファーガソン
例えば、ある試合でファーガソンが試合開始から5連続で3Pを外したとき、フェルトンはファーガソンの体が流れていることを指摘した。すると、そのアドバイスをもらったファーガソンは2連続で3Pを決めた。
みんなオレのことを本当の叔父さんみたいに扱うんだ、“Unc”「おっちゃん」って呼ばれてるよ。あいつらに色々プロとはなんぞやを教えようとしてきた結果、そういう関係になった。いい関係だよね。
レイモンド・フェルトン
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「たくさんのことを学んだ」
2019年、チーム練習が終わった後もサンダーの練習施設では34歳のレイモンド・フェルトンが居残りでシュート練習をしていた。
PORですごした最悪のシーズンから学んだことを実践していたのだ。
ポートランドでたくさんのことを学んだ、自分自身についてね。成長して大人にならないといけなかった。今、どんなことがあってもいつでも準備をし続けてるよ。結局はそれが自分の仕事で、これがプロの定義だ。
レイモンド・フェルトン
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出番が減ったことで若手の指導に精を出していたが、その一方でバスケットボール選手としても準備をし続けてきた。
オクラホマから出ていこうだなんて思っちゃいない。勝ちにいっていないチームでロッカールームガイになろう(=若いチームのメンターになろう)だなんて思っていない、キャリアのこの時点ではね。それよりもここでプレーオフで勝ちを狙いにいきたい、プレーオフではもしかしたら自分が貢献できるかもしれない。
レイモンド・フェルトン
シーズン後半の2月にシュルーダーが出産の立ち会いで欠場すると、遂にフェルトンは2ヶ月ぶりの出場機会を得た。そして、前半だけで15得点を挙げ言葉通り準備をしてきた姿を見せたのだ。
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この活躍で指揮官の信頼を勝ち取ると、フェルトンはルーキーのハミドゥ・ディアロからローテーションの座を奪いこれまた言葉通りプレーオフでもチームに貢献した。
プレーオフの対戦相手は奇しくもPORだった。
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ブレイザーズとのプレーオフに敗れた後、フェルトンはNBAでプレーしていない。
2020年初めにはあと2シーズンプレーしたいと語っていたフェルトンだったが、望み叶わずどことも契約ないまま2シーズンが経ってしまった。現在は地元AAUチームのコーチを務めている。
ポートランドで犯した過ち、そしてそこから学んだことを活かし実践したキャリア晩年。そんなフェルトンのキャリア最後の試合がブレイザーズとのプレーオフだったのは運命だったのかもしれない。
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