オリンピック男子バスケットボールのスペイン代表&元オクラホマシティ・サンダーのシューター アレックス・アブリネスについて。
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「ラスが助けてくれた」
2013年NBAドラフトで指名されてから3年後の2016年、スペイン出身のアレックス・アブリネスはオクラホマシティ・サンダーに入団した。
右も左も分からない、文化も言語も食べ物も違う、そして知り合いもいない環境でアブリネスをサポートしてくれたのはチームのリーダーだった。
1年目のときにルーキーだからとラス(ラッセル・ウェストブルック)がたくさん助けてくれた。NBAでのプレーの仕方を教えてくれたし、ロード遠征のときは自分とドマス(ドマンタス・サボニス、アブリネスと同期入団)を映画館や食事に連れて行ってくれた。
アレックス・アブリネス
アブリネス曰く、NBAとユーロリーグとの違いのひとつはロード遠征時の自由時間。
例えば、ユーロではホテルにいる時間を指定され夜はチームでディナーをするが、NBAでは翌日の集合時間だけ伝えられて時間の使い方は選手個人の自由だそう。はじめは知り合いもいなかったので遠征時はホテルの部屋にこもってゲームをしていたそうだが、ラスのおかげで次第にチームに溶け込むようになっていった。
(現在ユーロリーグでプレーしているアブリネスがNBAで恋しいのがこのロード遠征時の自由時間、ユーロリーグでも自由に行動できるようにして欲しいと愚痴?を言っていた)
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アブリネスはサンダーの貴重なシューターとして年々成長を続けていく。
そんなアブリネスにとってNBAで一番印象に残っている試合は家族の目の前でプレーした試合だ。2018-19シーズンはじめ、怪我で思うようにプレー時間が伸びていなかったが家族がスペインから見に来ていたATL戦で大爆発してキャリアハイ7本の3Pを決めた。
特におばあちゃんはアメリカまで自分がNBAでプレーしているところを見に来てくれた。いい活躍ができたと思うから、おばあちゃんに恩返しができたかな。
アレックス・アブリネス
ちなみにプレー以外で印象に残っているのはレブロン・ジェームスに認知されていると知ったとき。
2017-18シーズン、CLE戦後に同じくスペイン出身のホセ・カルデロンに挨拶をしに行ったらレブロンが近づいてきて“Good job, Abrines.”と言いハグをしてくれた。本人曰く、「その瞬間、自分にとって歴代No.1選手はマイケル・ジョーダンからレブロンへと変わった」とのこと。
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「すべてから逃げたかった」
“親愛なる友人よ、ひどいよ!
ずっと一緒に過ごしてきたのにこんな仕打ちをするなんて。歩き方さえ知らなかったときからの旧知の仲なのに。ずっとずっと不滅の仲だった、君に恐怖を感じるようになった数カ月前にすべてがバラバラにくずれるまでは。
君を見ることさえできなくなったし、嫌いにもなった。君と一緒にいる義務もなかったから、少しでも避けようとしていた。ただ君と君の周りのすべてから逃げたかった。”
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2018年、アブリネスは吐き気や頭痛に苦しんでいた。自分ではただのウイルス性の風邪だと思っていたが熱は全くない。しかし、なぜか練習やバスケットボールに対する情熱が日に日になくなっていく。
そんな状況が続くと、クリスマスゲームを前に体が動かなくなってしまった。
スペイン語が話せるアシスタントコーチのダーコ・ラヤコビッチに相談し、サム・プレスティGMからはロッカールームで休むように言われた。
風邪ではなくうつ病だった。
肉体的な痛みとは全く違う、目で見ることも感じることもできない。心の痛みは観察することもできないし、たとえば膝の怪我のように扱うこともできない。同じ経験をしていないと気づくことすらできない。
アレックス・アブリネス
チームのカウンセラーや怪我でリハビリをしていたアンドレ・ロバーソンと話をしていく中で症状は回復してきたが、およそ1ヶ月後に2試合ほど出場すると再発症してしまった。
バスケットボールが怖くなっていた。
アブリネスはチームとは一緒にいられないことを伝えると、サンダーは治療に専念できるように契約を解除した。
そして、アブリネスはバスケットボールから離れる。3歳の頃から共にしてきた“友人”がアブリネスを苦しめていた。
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「成し遂げたよ」
“何度も何度もこれが真実なはずがないと自分に言い聞かせていた、理解ができなかった。
以前までの関係に戻らないといけなかったから周りの人に助けを求め、プロの力も使った。君と一緒に過ごしていたときに感じていた幸せを取り戻そうと。
もうこれ以上は嫌だと言うことを決めた、君との友情を取り戻してまた笑いたかったから。
簡単ではなかったよ、何度も途中でやめようと思った。自分自身を奮い立たせるための最善策が他にあるはずだと言い聞かせた。
どんなことよりもどんな人よりも君と深く関わってきた、だからこの悪夢を終わらせるために勇気を身に纏ってきたんだ。”
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アブリネスが苦しむ中で助けになってくれた一人はまたもウェストブルックだった。
治療に専念して、チームから離れた後もラスは連絡を取り続けてくれた。ディナーにも呼んでくれた。ラスは選手としてではなく人として心配してくれていたんだ。チームから離れるかどうかを決めるときも、ゆっくりと丁寧に何をしないといけないか教えてくれた。
アレックス・アブリネス
治療を続けていく中でアブリネスが決意したことがある、それはうつ病についてカミングアウトすることだ。
アスリートがうつ病を患うことは弱いというレッテルを貼られることに繋がると考えられていた。NBAではケビン・ラブやダマー・デローザンがカミングアウトしていたが、スペインではまだ一般的ではなかった。
しかし、アブリネスは自身の苦しみを他人と共有することで症状が軽くなっていくことを感じていた。だから、自身が告白することでうつ病は誰にでも発症しうること、そして周りに助けを求めることが恥ずべきことではないことを伝えたかったのだ。
自分の口で伝えたかった、そのときメンタルヘルスについて話をする人はいなかったし、誰もが人生のどこかでそういった思いをすることを分かっていたから。症状は自分よりも軽いかもしれない、自分と同じくらいかもしれないし、自分よりもっと苦しんでいる人もいるかもしれない。
アレックス・アブリネス
そして、アブリネスはうつ病を克服すると“親愛なる友人よ、ひどいよ!”という語り始めで自身のうつ病との闘いを動画にして投稿した。
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“成し遂げたよ。
笑顔も、君に会いたいという気持ちもまた君と何千時間も一緒に過ごしたいという思いも取り戻した。
親愛なるバスケットボールよ、帰ってきたよ。
僕だよ、アレックスだ。
そこで待っていてくれてありがとう。”
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「東京でメダルを取る」
復活したアブリネスはFCバルセロナへ復帰する。
復帰後も変わらぬシュート力とNBAで磨いたディフェンスを武器に2021年ユーロリーグ優勝に貢献した。
そして、この夏前回大会同様スペイン代表に選出された。
もちろん目指すのはメダルだ。
オリンピックは世界でも最大の大会だし、多くの選手が体験できるものじゃない。(リオで)銅メダルを獲得したときは本当にいい気分になったよ、この夏の東京でも同じことを成し遂げたい。
アレックス・アブリネス
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アブリネスのあのセレブレーションや、元プロの父親とのエピソードなど
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